武定西路
武定西路を歩いてきました。
长宁区と静安区の境界線であり、西は江苏路、東は万航渡路とぶつかる東西に延びる路。
ややローカル感漂う路ですが、散歩中歴史的建造物を多く発見出来ました。
先ず武定西路と江苏路の交差点。
いきなり安っぽい西洋模倣の飾りつけが並びます。
なんでこんなものがあるのかと思って東に進むと、直ぐその正体がわかります。
・上海爱乐乐团(かつて潘氏の住宅)武定西路1498弄
かつて潘氏の住宅。1912年から1936年にかけて竣工。
典型的な古典式建築。
武定西路と江苏路の交差点にあった音楽の飾りつけは
この上海爱乐乐团(上海愛楽楽団)が理由と思われる。
・Kinnearアパート (武定西路1375号)
珍しく、上海市が指定した优秀历史建筑と恐らく长宁区が指定した文化保护が被っている建築物。
优秀历史建筑のプレートには1932年竣工の現代建築と記載。
しかし別のプレートには1920年代竣工と記載。。。
プレート表示の信ぴょう性が崩れる…
ちなみに1929年、ここで中国共産党中央会議と幹部のトレーニングがここで行われたらしい。
・史良旧居(武定西路1357-1359号)
优秀历史建筑のプレートがなかったけど、一応上海市优秀历史建筑らしい。
中国の有名な法学者、政治家、中国国家司法部長などを歴任した史良の旧居。
現在は上海长宁房地产经管有限公司(つまり不動産屋かぁ)となっている。
・花园住宅(武定西路1201-1225号)
1920年竣工。
武定西路と万航渡路の交差点南西に建つ住宅群。
ぱっと見古い良い感じの建物だなぁっとは感じるけど
歴史プレートがなかったら、歴史的建造物とは気付きにくい。
また明朝の時代、この辺り一帯は曹家渡という、曹一家による無料の波止場があったようです。
すぐ北に蘇州河が流れているので、納得です。
現代も曹一家の名前が残る曹家渡街道と呼ばれているのは感慨深いです。
他にもいろいろ面白いものが見られる武定西路でした!!
安福路
安福路を歩いてきました。
徐汇区にあり、西は武康路、東は常熟路とぶつかる東西に延びる路。
今回は武康路から乌鲁木齐中路までの、約600mくらいの若者や外国人が集まるスポットを歩いて来ました。
・安福路322号花园住宅
徐汇区文化局によって定められた徐汇区文物保护点。
今はbook & cafeになっており、ミニ映画スタジオのようなものも付随している。
しかし、ここは清朝時代の英雄李鴻章の墓があった場所とのこと…
1954年に歴史上の偉人の墓を無くして、現在の上海市電影発行放映公司が建てられる。
なんで李鴻章の墓を無くしているんやろう…
ちなみにこの周囲はcafeが集まり、週末は流行に敏感な人々で溢れてきます。
春先からはオープンcafe多し。
・安福路275弄2号住宅
クリーニング店が、徐汇区文物保护点に登録されるだなんて
洒落ています。
・话剧大厦・上海話劇芸術中心(安福路288号)
1955年に上海人民芸術劇院と上海青年話劇団の2つの名門劇団が統合して
設立された上海唯一の国家級演劇団体。2000年竣工。
530席を用する劇場が入っていたり、芸術センターが入っていたり、アートを盛り上げようとしています。
最近こういったアートで盛り上げようとする路が上海に多し。
アートが盛んだと、最先端の街だなと実感する。
特に歴史的名所ではなく、現代の文化的名所。
・Studio303Zoaje (安福路255号)
元Mr.Lingの住居、今はスタジオとなっている。
上海市优秀历史建筑、1923年竣工。
・ 老房子(安福路284号)
英国式の老房子,1937年竣工。
整備の具合、止まっている高級車などから政府高官が利用している何らかの施設と推測。
・ Dupleixアパート(安福路233号)
1918年竣工の簡易古典式建築。
現在も普通に生活アパートとして使用されている。
入口の門がとっても洒落ている。
中国人が好みそうな様式で、真新しいマンションだとセンスが悪いとしか思えないが
こういった古い建物だと妙にマッチしている感じがする。
ちなみにDupleixアパートの対面にあるアパート↓は、特に文化物として登録されていないが
ローカルアパートとしては良い雰囲気。
・ 呉国禎邸(安福路201号)
1922年竣工の折衷様式建築。
元は国民党上海市政府の市長であった呉国禎(1930-1984)の旧邸。
上海市市長の在任期間は、1946年5月から1949年5月の中国解放前夜まで。。。
その後台湾へ逃亡。。。。
そのため歴史プレートに"呉国禎"の名前が記載されていない…
上記で紹介した上海青年話劇団は、上海戲劇学院実験話劇団を前身に
1963年ここで設立された。後の1995年に上海話劇芸術中心に統合。
最近は家具(casa casa)屋やレストラン(appolo)が入っている。
・ 贺绿汀旧居(安福路191弄15号)
どなたかまでは調べられていませんが、贺绿汀がかつて暮らした住居。
上海によくある集合住宅様式で、現在も普通に住民が暮らしています。
歴史に残る人物が暮らした家で、文化財に暮らすというのはどういう気持ちになるのだろう…
この奥↑が贺绿汀旧居。
観光客が多く来て、住民に迷惑を掛けているのだろう。
英語で表記もあるということは、マナーの悪い外国人もいるのでしょう。
何故かトルコ絨毯まで扱う店が多い安福路。
食べるところも、歴史ある建物も、芸術も楽しめる路なので
オススメです。
皋兰路
皋兰路を歩いてきました。
短い通りなので、知名度はあまり高くありませんが
黄浦区のフランス租界ど真ん中です。
東は复兴公园,西は瑞金二路とぶつかっている全長500mくらいの短い路です。
ただ古い建物が多く残っており、かつ素晴らしい本屋がある。
街の中心部付近ということで、若者がインスタ映え(wechatやTikTokなどだと思いますが)の写真や動画をよく撮影しています。
・皋兰路28号
ここは現在日本人向けの中国語語学学校,汉院となっています。
上海中国語学校漢院です - 上海中国語学校!ビジネス中国語につよい漢院です。
あまり日本人が住むエリアではありませんが、
街の中心部で閑静な場所、かつ歴史ある建物(优秀历史建筑)で学べるって良いですね。
・皋兰路26号住宅
中国語語学学校とは異なり、こちらは一般の住宅。
かつ先程は上海市人民政府指定の” 优秀历史建筑”でしたが、こちらは黄浦区文化旅游局が管理している黄浦区文化保护点。
どういった基準で区別をされているのかわかりませんが
优秀历史建筑の方が、歴史的価値は高く評価されているのだと推測されます。
・皋兰路21弄1号,2号住宅
・皋兰路19-29号,25弄花园住宅
こちらも黄浦区文化旅游局指定の黄浦区文化保护点。
中には入れないですが、お店になるのか、住宅になるのか不明。
わかり次第、また追記します。
・皋兰路16号、思南书局(東正教堂分会:聖ニコライ教堂)
上海のロシア人が自力で建造した最初の正教会。
それをリノベーションして本屋としています。
1934年竣工。
帝政ロシア最後の皇帝ニコライ二世を記念して、ニコライ教堂と命名される。
90年代末の大改修により、文革期に失われていた頂部のオニオンドームが復旧。
本屋になる前はフレンチのお店だったそうな…
どちらにせよロシア正教会をこんな風にリノベーションするって中国から見たらgood ideaなのかもしれないけど
信者の方から見るとどう感じるのであろうか…
中は非常にお洒落な本屋で、本を探しにくるというよりは、内装見学、及び店内に設置してあるcaféにて読書する雰囲気
なお、2021年3月時点は健康码の提示、及び予約必要です。
ただ予約はその場ですぐ出来るので、事前に細かく計画を立てるのは不要かと。
・皋兰路12弄1号-4号
・皋兰路10号,14号
新式里弄住宅(新しい老房子の様式)。
確かに窓の形や、ベランダ、壁の様子が少々変わった老房子。
1930年代に建設されたものでも、あまり見ない希少な建物
皋兰路と南北に交わる思南路と瑞金二路も非常に魅力いっぱいの路です。
思南路と瑞金二路の紹介も後ほど…
东平路
东平路 (東平路) を歩いてきました。
2021年4月時点、やや工事中の路ですが2021年中に劇的に綺麗な路になるのだと思います。
工事の壁に遮られていますが、上部にちょっと見えるのは席家花園。
・蒋介石邸(東平路9号)
下記优秀历史建筑の説明だと、フランス式と記載があるが
上海歴史ガイドブックには、英国風邸宅と記載あり。
どちらかは不明…(徐々に調べます)
別名「爱卢」と呼ばれた。
・宋子文邸
かの有名な宋三姉妹の兄弟(宋庆铃の弟)、宋子文の別邸。
国民政府の財政部門を担当しており、長く国民党政府の中枢にいた。
ちなみに東平路の他にも虹橋路や永嘉路にも豪邸を所有していた。
こんな感じで東平路は工事中。
工事完了後には、音楽文化街区になるのだと思われます。
今から楽しみ。
・日本商務官邸
先ほどの宋子文邸から衡山路を渡り、东平路×衡山路の交差点にあるもの。
現在は、上海青旅(集団)有限公司となっています。
さらにここから真っ直ぐ行くと、乌鲁木齐路にあるアメリカ領事館にぶつかります。
短い路である東平路ですが、なかなかの有名どころが多いです。
かつ近い将来 (2021年末 or 2022年初頭)には音楽ストリートとして
若者、西洋人を寄せ付けそうな路になりそうです。
期待大!!
お洒落な東平路!!!
2021Apr11 無錫マラソン
2021年4月11日無錫マラソンに参加してきました。
気温は4月上旬にしては涼しく13~17℃
天候曇り後雨(小雨)
なかなか良いコンディションでしたが、33km過ぎで失墜。
なんとか意地でsub3.5は達成出来ました。。。
自分のレース評価は置いといて、今回の無錫マラソン感想です。
全体的に素晴らしい運営でした。
◎ゼッケン引取り。
ゼッケン引取り会場である无锡太湖国际博览中心へ行くための
最寄駅である金匱公园站からは無料シャトルバスが頻繁に出ています。
コロナ対策ということで、時間予約必須のゼッケン引取りでしたが
Mini programでの予約も簡単、むしろ混雑がなくノーストレス。
ゼッケン引取り会場からの帰りも、当然最寄駅まで無料シャトルバスがひっきりなしに出ています。
◎当日スタート地点
スタート地点は毎年恒例の无锡新体育中心。
2万人を越える規模の大会なので、わんさか人はいましたが
案内板、荷物預け、トイレの数、人の流れに問題はありませんでした。
◎当日ゴール地点
ゴール地点は、これまた毎年同じ无锡太湖国际博览中心。
破三(sub3)が801人もいたのに、3時間そこそこのゴールでは混雑なし。
氷水風呂、マッサージエリア、荷物受け取り特に混雑ありませんでした。
ただ、雨のレースだったのでゴール後にはタオルが欲しかったです…
この問題は下記に述べます。
◎当日ゴール最寄駅金匱公园站
ここでは感動しました。
無料シャトルバスを降りた瞬間、雨が降っていたためボランティアスタッフが傘をさしてくれ雨から守ってくれます。
さらに前日は上りエスカレータであったところが、下りエスカレーターになっていました。
フルマラソン後、下り階段は本当にキツいので助かりました。
さらに改札までの通路で、ボランティアスタッフが”厉害”等声かけてくれました。
こんな暖かい街の対応は無錫が初めてです。
◎街の様子
2つのホテルしか確認していませんが
通常なら12時チェックアウトのところ、マラソン当日は14時チェックアウトに変更されていました。(无锡中国饭店)
勿論無料です。
无锡德根饭店では、ランナー限定で16時チェックアウトにしてくれたのこと。
次回からはそこもありかな。
また市内や駅に、無錫マラソンの広告がデカでかとありました。
こういった街全体で盛り上げていこうとする取り組みは大好きです。
しかし残念なことが一つ。
本来無錫マラソンはアシックスがメインスポンサーを務めていました。
そのためランシャツもfinisherタオルもアシックスのもが配られる予定でした。
しかし、マラソン10日前の4/1に急遽メインスポンサーからアシックスが外されてしまいました。
理由はネットでの話題と具体的に明記されていませんが、新疆綿花問題です。
10日前に決まったことなので、アシックスの名前が入ったランシャツとタオルは配らず
代替品も間に合わなかったという状態です。
雨だったので、タオルは欲しかった…
恐らく上記の地下鉄広告も、瞬時に変えたのでしょう。
ネットでの記載も即変わっていました。(下記参照)
相変わらずの素晴らしき実行力に脱帽ですが
この国の怖さを再認識させられました。
又聞きなので、詳細不明ですが在庫(ランシャツ、タオル、販促用シューズ)を大量に抱えたアシックスは大赤字、
かつどうやって在庫を捌くか頭を悩ませているようです。。。
↓変更前。asics有りバージョン。
↓変更後。asicsなしバージョン。