上海徒然ブラブラ街歩き

上海の名所紹介、上海(中国)で見つけたオモロいもの等、上海生活を徒然なるままに。

東外灘

東外灘を歩いてきました。

 

東外灘という呼び方は正しいかどうかわかりません。

ただマンションなどを見てみると、東外灘と書いてあります。

恐らく地価を上げるため"外灘"というブランドを使ったのでしょう。

 

場所は、12号線爱国路站から黄浦江までの間一帯です。

すぐ東には复兴岛があります。

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最初は東外灘という呼び名が理解できませんでしたが

広域地図で見ると、確かに外灘の東にあるなぁっと理解出来ました。f:id:tfpfy858:20210420152209j:plain

 

なんでこんな東の端に来たかというと

在華紡(戦前上海に進出した日本の紡績企業工場)が残っているからです。

 

・密丰绒线厂旧址(波阳路400号)

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英国のウール工場です。

初っ端から在華紡の工場跡でありませんが…

しかし、この辺り一体が紡績産業が盛んであった一つの証拠になるかと。

 

 

・旧サントリービール工場(定海路街道平凉路2678号)

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現在青島ビール上海杨浦有限公司

2021年3月時点微妙に稼働しているような、稼働していないような…

これも在華紡関係ありませんが…

木内誠さんの「上海歴史ガイドマップ」(大修館書店・刊 2011年12月)の地図を見る限り

昔はサントリーのビール工場だったらしい。

在華紡が多かったから、日系のサントリービール工場が進出したのかな?

その点は調査不足です。

 

 

・旧裕豊紡績社宅

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1923年12月竣工。

旧裕豊紡績社宅。(裕豊とはかつての東洋紡績グループの一つ)

当時は住宅だけでなく、社内交流のためのグランドやテニスコートもあったとのこと。

グランドはまだ残っており、草サッカーなどに利用されているが、

かつてのテニスコートは、高層住宅となっています。(上記写真参照)

 

また昭和時代と推測される旧裕豊紡績社宅の写真です↓

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東洋紡上海工場(裕豊紡績工場跡)

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1923年5月竣工の東洋紡上海工場(裕豊紡績工場)。

1953年に技術留用協力者の全帰国によって東洋紡上海工場(裕豊紡績工場)の幕が下りる。

東洋紡(裕豊紡績工場)の跡地が、現在アウトレットモールとしてリノベーションされています。

昔懐かしい、とんがり屋根の外観が綺麗に残っています。

国家工业遗产AAAA旅游景点として認定されています。

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アウトレット内にはスターバックスを始めバーガーキングなどの飲食店

NikeadidasNorth faceなどのアウトレットが入ってます。

 

 

アウトレットモールから黄浦江を挟んで対岸の浦东を眺めます。

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綺麗

 

なおこの辺は上海とは思えないほど、昔の中国らしさというか

地方の中国らしさが残っています。

それを見物に行くのも一興かと。

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